2006年11月 9日 (木)

會津八 一

11月9日(木)

勤務先事務所で、お客様である書道グループの幹事の方から、おいしい最中をおすそわけでいただいた。

その方の講釈である。「当グループの指導者の故O先生(書道家)は、會津八 一を師と崇めている。この最中の表面の模様は、會津八 一の書からデザインしたものである。故O先生は、毎年新潟からこの最中を取り寄せていた。ぜひ味わって欲しい。」

この時、會津八 一が新潟出身で、早稲田大学卒の書家で歌人であることを思い出し、応対できた。會津八 一を知っていたのは、長女のもとに届けられていた「早稲田学報」の會津八 一博物館についての記事を読んでいたためであった。

最中は「かまつか最中」といい、會津八 一博物館から依頼を受け、㈱里仙という菓子店で作られているとのこと。最中はおいしかったが、表面の模様がよくわからないうちにお腹の中に入ってしまった。(笑い)

さて、最中の包み紙を見た時、心は一瞬ムードコーラスの世界へ行ってしまった。

(黒沢明と)ロス・プリモスそして美川憲一が歌う「新潟ブルース」。我がカラオケ愛唱歌のひとつでもあるが、この曲の2番の一節 ♪しあわせの夜を二人過したね いつかより添った古町通り♪ この古町通りが㈱里仙という菓子店の所在地であり、また會津八 一の出身地であった。

次にこの歌を歌う機会があれば、こうした思いを込めて歌いたい。 

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2006年11月 6日 (月)

クールファイブ内山田洋さん死去

11月6日(月)

クールファイブ内山田洋さん死去

「内山田洋とクールファイブ」の元リーダー、内山田洋さんが肺がんのため3日死去した。享年70歳だった。

前川清をリードボーカルに据えた「内山田洋とクールファイブ」を率いて1969年(昭和44年)にデビュー。デビュー曲「長崎は今日も雨だった」がヒットし、あっという間に人気グループになった。

このグループそしてデビュー曲「長崎は今日も雨だった」についての思い出のひとつは、当時流行していた「ラジオ放送を利用したスポット宣伝」の成功である。当時のビクターレコードが、森進一、青江三奈の抱き合せスポット宣伝(ため息路線?)で最初に成功したと記憶している。樂曲の良さ、前川清の荒々しいボーカルの魅力、コーラスも含めた編曲の妙に加え、スポット宣伝の効果も大きかったと思う。

前川清在籍時代のメンバーは全員九州出身で、リーダーの内山田(楽器演奏時はギター担当)をはじめ、薄い頭髪とメガネがトレードマークの宮本悦朗(キーボード)、いかつい顔立ちで南州太郎のモノマネを得意とした小林正樹(ベース)、美男の岩城茂美(サックス)に森本繁(ドラム)と、個性豊かなメンバーが揃っていた。

前川清脱退後はヒット曲がなく、後釜を育てることができなかったということだろう。

略歴

1967年9月  長崎市でグループ結成。
1968年     前川がボーカルとして参加。
1969年2月  「長崎は今日も雨だった」でレコードデビュー。
1969年12月 第11回日本レコード大賞新人賞受賞。
1987年     前川がメンバーから脱退。

ヒットコレクション 決定盤

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