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2006年11月30日 (木)

日垣 隆 著:知的ストレッチ入門

日垣 隆 著「知的ストレッチ入門」(大和書房刊)を読んだ。

「知的ストレッチ入門」の後に、「すいすい読める 書ける アイデアが出る」と続く。すいすい読めることは確かだった。ただし、一番納得し、かつ参考になったのは、「おわりに」の項であった。

日本では戦後、知的アウトプットに関する本が何度もベストセラーになっています。・・・と、各書を紹介している。

梅棹忠夫氏の「知的生産の技術」、渡部昇一氏の「知的生活の方法(続)」、板坂元氏の「考える技術・書く技術(続)」、立花隆氏「知のソフトウェア」、山根一眞氏の「スーパー書斎の仕事術」そして野口悠紀雄氏の「パソコン「超」仕事法」の各書について、それぞれの時期にあって、知的生活のための優れた教科書であった。

しかし、改めて読むと、私たちを取り巻く前提条件のあまりの変化に、頭がくらくらしてくる。諸先輩が直面してきた大課題のほとんどがクリアされ、夢がことごとく実現しているから。・・・と。

恥ずかしながら、私もすべてを読み、当時はそれなりに参考にしたと思った。ただ、今となっては、この著者の「おわりに」の内容に賛同するばかりである。

現在の「知的生活」は、このブログ程度というわけです。

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2006年11月29日 (水)

フィル・ウッズの苦い思い出

勤務先のコンサートホールで、12月16日(土)に「リュイール・サクソフォン・クァルテット」のコンサートが開催される。

そのプログラムの中に、「フィル・ウッズ:3つの即興曲」という演奏曲目を見つけた。
メンバーのひとりHさんに聞くと、やはりジャズ(アルトサックス)プレーヤーのフィル・ウッズのことであり、しかも、譜面になっている曲とのこと。そんな作曲活動もしていたのかと驚かされる。

フィル・ウッズの名前を聞くと、彼の人気絶頂といってよい70年代の後半、彼のクァルテットを聴きにわざわざ上京したのに裏切られた苦い思い出がよみがえる。

当夜会場に行って初めて、本人が来日できず、公演は中止、その代役でベニー・カーター・クァルテットの出演と知った。
切符(古い?)の払い戻しの表示があったか記憶はないが、今さらやめるわけにはいかず、我慢して入場した。ベテランのベニー・カーターの演奏は悪いものではなく、親しみやすいステージも楽しむことはできた。ベニー・カーターを聴けたとの思いでもできた。

しかし、なんだったのか。ヤクか急病かギャラか、当日まで中止がなぜわからなかったのか。
インターネット時代の現在では、とても考えられない不思議な、そして苦い経験なのである。

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2006年11月28日 (火)

ちいが相模原へ

22日(先週水曜日)から昨日27日(月)まで、相模原に在住する長女と、その娘「ちい」(初孫、生後10月)が、我が家に里帰り。

この期間中は、なかなか会えない孫のめんどうを徹底的に見ることを、以前より決定済み。

計画通り楽しく過し、私に腰の痛みを残し、「ちい」は去っていきました。

今日からは平常に戻り、ブログの書き込みも再開できます。

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2006年11月18日 (土)

ウィークエンド労働教育講座

県主催のウィークエンド労働教育講座、「知って得する労働時間管理のポイント」を聴講した。

項目
1.我々はどのように働いてゆけばいいのか?
  (近年の「働き方」「働かせ方」をめぐる問題と今後の方向性)
  キーワード「ワーク・ライフ・バランス」・・・仕事と生活の調和

2.所定外労働の削減について
  労使双方とも「労働時間に対する意識改革」が重要

3.過重労働による健康障害・メンタルヘルス対策について
  企業には「安全配慮義務」が課されている

4.労働基準法の改正について(現在審議中)
  (1)長時間労働是正
  (2)柔軟な働き方の実現
  (3)非正規社員の待遇改善

1時間という限られた時間の中で、この種のタイトルの講演(講義)を行うとしたら、この内容が妥当なものだろう。

業務上経験した事例を例示し説明できればベターであろうが、良い例はなかなかないだろうから難しい。

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2006年11月16日 (木)

マルセロ・ロハスそしてディグノ・ガルシア

11月13日(月)

マルセロ・ロハスそしてディグノ・ガルシア

勤務先のコンサートホールで、12月8日(金)に「クロマティック・アルパの貴公子」マルセロ・ロハスのコンサートが開催される。パラグアイ共和国日本人移住70周年記念コンサートである。

Marcelosmall1その打合せの席で会った三村氏というプロモーターの方が、W大学ラテンアメリカ協会(というクラブ・・・・今風に言えばサークル)のOBであった。私は以前にも書いたが、K大学ラテンアメリカ研究会(というクラブ・・・・今風に言えばサークル)のOBであり、親しみを感じた。

かつてアルパの巨匠といえば、ディグノ・ガルシア。

彼のトリオの演奏を学生時代に新宿厚生年金ホール(記憶が不確かになってきているが)で聴いたことは、ラテン音楽ファンとしてちょっと自慢したいことだが、三村氏も大学に入学した年に、ディグノ・ガルシアのことをよく知らないままに郵便貯金ホールで聴いたとのこと。

ディグノ・ガルシアの名演奏と、ツイン・ボーカル(兼ギター)の美声。今思い出しても素晴らしい演奏であった。

ディグノ・ガルシアのことを話したのは、何年ぶりだろう。僅かな時間であったが、楽しかった。

12月8日(金)には、若きマルセロ・ロハスがクロマティックに改良したというアルパの、新鮮な音色と演奏を楽しみたい。

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エルネスト・カブール公演

エルネスト・カブール[チャランゴ・コンサート]を江崎ホールで聞く。

9819000611 日本の名フォルクローレ演奏者の木下尊惇(ギター、ムユムユ)が共演(伴奏)。

演奏曲のほとんどが自作のため、「熊蜂の飛行」「君の影になりたい」等を除き知らない曲多かったが、カルナバリート、クエッカのリズムは懐かしかった。

ラテン音楽のFM放送をエアチェックし、雑誌「中南米音楽」を愛読し、同誌が主催するレコード・コンサートに出かけ、来日コンサートはできる限り出かけた高校生から大学生の頃が思い出されてくる。この頃に心と体に染み付いたものは、簡単には抜けないものだ。

木下尊惇の演奏は「ルス・デル・アンデ」のコンサートを、市民文化会館中ホールで聴いた以来。あの時もうまいギターと思ったが、今回は通訳兼解説そして伴奏、演奏と大活躍で、もちろん素晴らしいギターであった。

先般、NHK第一放送に出演して、フォルクローレとのなれそめと現在を語っていた。おしゃべりも落ち着いていて、上手であった。

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2006年11月13日 (月)

プロ野球アジアシリーズ

11月12日(日)

プロ野球アジアシリーズで日本ハムが優勝。25年ぶりのリーグ制覇、44年ぶりの日本一、そして無敗でのアジア王座、見事というほかない。

以前にも書いたが、50年近く中日ドラゴンズファンである。中日ドラゴンズがプロ野球アジアシリーズに、もし出場したらと考えてみたが、こんな見事な優勝ができたかどうか。残念ながらファンとしては自信がない。

昨年のロッテの勝利と同様に、若手をうまく活用し、十分に力を発揮させた。こうしたパ・リーグの姿勢を、セ・リーグの各チームも学ぶべきであろう。

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2006年11月11日 (土)

社会保険労務士試験合格発表

11月10日(金)

第38回(平成18年度)社会保険労務士試験の合格発表があり、合格率は8.5%(前年比0.4%マイナス)という、平成12年以来の低水準だそうです。

私も合格から2年経過ということです。あっという間でした。

HK静岡さんとちがって、これまで会費納入と研修受講そして特定社労士受講・受験・登録のみしか実績はありません。

2回目の退職が来年5月末に迫り、社会保険労務士資格の活用を真剣に考える時になりました。

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2006年11月 9日 (木)

創業・経営改革セミナー

11月9日(木)に独立行政法人雇用・能力開発機構主催のセミナーに出席した。

「アントレプレナーDo it !がくれたもの 僕の創業体験談」 
                              ダイダラボッチ.com 中村真氏

・創業のきっかけ
・創業から今まで
・今提供しているもの、これからのこと。

成功といえるかどうかまだわからない状態の経験談であり、新たなビジネスモデルがあるわけでもない。厳しく言えば、講師に相応しいかどうかも疑問と考える。

それはともかく、中心としている業務は、選択理論心理学のワークショップ(一般向けボランティア、企業向けセミナー)の開催とのこと。

簡単に商売になるのは、講習会、研修会、セミナーの企画、開催ということでしょうか。

選択理論心理学については、少し興味を持った。下記の本が、基本書なのでしょうか。

グラッサー博士の選択理論―幸せな人間関係を築くために
グラッサー博士の選択理論―幸せな人間関係を築くために ウイリアム グラッサー、William Glasser、、柿谷 正期 (単行本 - 2003/7)

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會津八 一

11月9日(木)

勤務先事務所で、お客様である書道グループの幹事の方から、おいしい最中をおすそわけでいただいた。

その方の講釈である。「当グループの指導者の故O先生(書道家)は、會津八 一を師と崇めている。この最中の表面の模様は、會津八 一の書からデザインしたものである。故O先生は、毎年新潟からこの最中を取り寄せていた。ぜひ味わって欲しい。」

この時、會津八 一が新潟出身で、早稲田大学卒の書家で歌人であることを思い出し、応対できた。會津八 一を知っていたのは、長女のもとに届けられていた「早稲田学報」の會津八 一博物館についての記事を読んでいたためであった。

最中は「かまつか最中」といい、會津八 一博物館から依頼を受け、㈱里仙という菓子店で作られているとのこと。最中はおいしかったが、表面の模様がよくわからないうちにお腹の中に入ってしまった。(笑い)

さて、最中の包み紙を見た時、心は一瞬ムードコーラスの世界へ行ってしまった。

(黒沢明と)ロス・プリモスそして美川憲一が歌う「新潟ブルース」。我がカラオケ愛唱歌のひとつでもあるが、この曲の2番の一節 ♪しあわせの夜を二人過したね いつかより添った古町通り♪ この古町通りが㈱里仙という菓子店の所在地であり、また會津八 一の出身地であった。

次にこの歌を歌う機会があれば、こうした思いを込めて歌いたい。 

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2006年11月 6日 (月)

クールファイブ内山田洋さん死去

11月6日(月)

クールファイブ内山田洋さん死去

「内山田洋とクールファイブ」の元リーダー、内山田洋さんが肺がんのため3日死去した。享年70歳だった。

前川清をリードボーカルに据えた「内山田洋とクールファイブ」を率いて1969年(昭和44年)にデビュー。デビュー曲「長崎は今日も雨だった」がヒットし、あっという間に人気グループになった。

このグループそしてデビュー曲「長崎は今日も雨だった」についての思い出のひとつは、当時流行していた「ラジオ放送を利用したスポット宣伝」の成功である。当時のビクターレコードが、森進一、青江三奈の抱き合せスポット宣伝(ため息路線?)で最初に成功したと記憶している。樂曲の良さ、前川清の荒々しいボーカルの魅力、コーラスも含めた編曲の妙に加え、スポット宣伝の効果も大きかったと思う。

前川清在籍時代のメンバーは全員九州出身で、リーダーの内山田(楽器演奏時はギター担当)をはじめ、薄い頭髪とメガネがトレードマークの宮本悦朗(キーボード)、いかつい顔立ちで南州太郎のモノマネを得意とした小林正樹(ベース)、美男の岩城茂美(サックス)に森本繁(ドラム)と、個性豊かなメンバーが揃っていた。

前川清脱退後はヒット曲がなく、後釜を育てることができなかったということだろう。

略歴

1967年9月  長崎市でグループ結成。
1968年     前川がボーカルとして参加。
1969年2月  「長崎は今日も雨だった」でレコードデビュー。
1969年12月 第11回日本レコード大賞新人賞受賞。
1987年     前川がメンバーから脱退。

ヒットコレクション 決定盤

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2006年11月 5日 (日)

美の壺 秋の特集File.27 信濃路

11月3日(金)

「美の壺 秋の特集File.27 信濃路」 
             NHK教育TV 午後10:00~( 50分 )

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谷啓さんが秋の「信濃路」を旅しました。「美の壺」はこれまでは時々覗いた程度であったが、今回は、NHKの番組紹介番組で特集を知り、興味を持った。

信濃追分で電車を降り、北国街道を、追分、小諸(懐古園)、海野、上田、千曲川を経て、善光寺に参る旅。バックにクリフォード・ブラウン、ブルーベック、ジュリー・ロンドン、ポール・デスモンド、マイルス、コルトレーン等の名演、名曲のさわりを配し、NHKらしい洒落た雰囲気の中で、手際よくまとめられたNHKらしい編集であり、十分楽しむことができた。これからも続けて見たくなった。

「信濃路」は、高校3年の卒業旅行以来、四季を問わず何度も旅した、大好きなところである。

高校3年の卒業旅行は、現在津田沼に住んでいるU・Kと、今は亡きU・Yとの3人で、静岡県と長野県の県境を、寝袋とテントをリュックに詰め往復した思い出の旅であった。まさかと思った不満足な入試の後のやや傷心の旅であったが、いなかから東京に進学する直前の正に旅立ちの旅でもあった。

2人との友情は永遠と思っていたが、U・Yは私たちを置いて、その4年半後先立ってしまった。今もって無念としか言えない。

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